焼き菓子
 私の実家は山形の米沢で食料品関係の仕事をしていましたが、幼い頃は電気関係の仕事に興味があり、この世界に入るとは思ってもいませんでした。しかし、高校に入る時に和菓子の職人を希望する親の願いで商業高校に入りましたが、洋菓子に興味が芽生え、時代の流れも洋菓子に有るように感じ卒業後は仙台の洋菓子店に修業に入りました。修業の日々を過ごしていたある日、テレビで観た東京の洋菓子店にあこがれを抱き何度もお店を訪ね修業をお願いし、一年以上も通ってついに修業の場を得たと思ったのもつかの間一年半ほどで病気になりその店を辞めねばならなくなってしまいました。店を辞めても洋菓子、フランスのデザートに対するあこがれは衰えるどころか日に日に増していき、年齢も29歳となっていました。
 もう勝負を賭けねばと考えていた私は当時の私にしてはとんでもない大金を工面し、パリの知り合いのところに行きそこを拠点に30軒以上のお菓子屋さんに修行をお願いしましたが、労働許可も強いコネもない私を雇ってくれる店はなく、ついに修業の場を得ることは出来ず帰国しました。
 ただ、この時のフランスで料理の研究のために食べ歩いていた料理人の友人と食べ歩いた本場の数々の星付きの一流店の味や店の存在そのものが現在の自分の菓子作りや菓子に対する考え方の基礎を作ってくれたと思います。そしてこの時に感じたフランス・パリの精神。そんな思いの店名が「エスプリ・ドゥ・パリ」です。

 そして帰国して暫くしてフランス料理のデザートを作る仕事をしていた時、フランス・バールデュックのオー・パレ・ドールのアンドレ・コルデル氏が来日するのでその手伝いをして欲しいという依頼があり、(知り合ったコルデル氏とは親交を深め現在では当店からバールデュックにある氏のお店オー・パレ・ドールに若い社員の修業を受け入れてもらっている)彼からも非常に多くの大事なことを学び、フランス菓子に対するあこがれがより強くなっていきました。
 会社の名前が「おかし倶楽部」となっているのは、営利よりも人材育成や技術の継承により多くの価値を見いだしてゆきたいという思いからです。
 食の安全が問われる昨今ですが、当店は開店当初より自分が安全と信じる食材を使い、できる限り生産者とも顔の見えるお付合いをするように心がけてきました。加えて、私は果物や農産物の豊富な地域で生まれ育った経験から旬のおいしい瞬間をぜひ皆さまにも召し上がっていただきたいと思っています。いろいろな人の好みに合うようになるべく数多くのバリエーションを置くように心掛け、味もお子様を含めた皆さまが親しめる「さわやかな甘さ」を心掛けています。ぜひ、エスプリ・ドゥ・パリのお菓子をご賞味ください。